環境省平成17年度主体間連携モデル事業委託業務(省エネ住宅1)
桜久保屋敷小野寺家十九代
小野寺英一・小野寺美恵子
ことし80歳になる私たちの父は、本当に幸せ者です。なぜなら、父の祖父が建てた家に35年間、自分が改修した家に44年間住み、昨年末からは改修前の昔の姿にほぼ戻した家に住んでいるからです。現在、父は一人住まいで、私たち夫婦は仙台に居住しており、週末帰宅を原則に暮らしています。
今からちょうど5年前の2000年の秋には、母も存命でありましたが、慢性腎炎と高血圧が原因で人工透析が不可避となり、透析通院のための準備入院をしました。年末には退院して、21世紀の幕開けとなる2001年の正月を家族6人で迎えたのでした。そして、私たち夫婦は家族が揃った夕食の席で、70歳代中盤になった透析に通う母と送迎する父の健康を考えて家を直す、その準備としてまず道路の改修をし、その次に家の裏の土留め工事などが必要になる、という話をしました。
2001年小正月、私が母を透析のため病院へ連れて行こうと車に乗せたら、母は自分の身体の調子より、父の背中に発生した腫瘍のことをとても心配していたのです。それは、私にとって初めて聞く話であり、それが母との最後の会話となってしまいました。
そして寒中1週間後の1月21日早朝、母は外便所から戻る途中の屋外で心筋梗塞に倒れ、帰らぬ人となったのです。外気と
四十九日の法要を終えて直ぐ父が入院、腫瘍は幸いにも良性で1ヶ月後に退院できたのです。そこで、家の改造が急務となりました。風呂と便所の屋内設置、隙間風をなくすこと、バリアーフリー化など数え上げるときりがありません。住宅展示場回りや参考図書による私たちの勉強が始まりました。
住宅講演会を聴講 2002年3月に母の一周忌を済ませ、父と私たちの3人で相談し、春から秋にかけて取り付け道路の拡幅及び舗装に取り組みました。その頃、妻の勤務先の友人から住宅講演会があるとの情報を得、妻が参加予定でしたが仕事の都合で行けなくなり、代わって私が10月25日多賀城市にある東北歴史博物館で安井妙子さんのお話を聴講したのです。
当時の父は、頑として家を新しく建替えすることには反対でしたし、私たちもこの家を全て壊すことには大いに不安を抱いていましたから、初めて聞く安井さんの宮城県内でのリフォームの事例発表、そして会場で同時に頂いた『古民家復権』という本の内容にたちまち吸い寄せられてしまいました。
宮澤先生との出会い 住宅講演会から1年後の2002年11月23日24日に岩手県
晩秋の24日午後、安井さんの車には宮澤智士先生も御一緒で、約2時間半にわたってみていただきました。果たして古民家と言えるのか、リフォームするだけの値打ちはあるのか、などを直接見ていただいて、ご意見を伺いたかったからです。
宮澤先生は、父とも直ぐに打ち解けて、昭和35年の改築時の話が始まりました。安井先生は天井裏からみた梁の太さ、軸組み、気仙大工の技を語ってくれました。
お二人の感触から察するに、ひょっとして我が家を再生する意義は十分にあるのではと思われたのです。
立春に断熱気密改修住宅を訪問 私たちは大分乗り気になったのですが、父は話だけでは納得がいかなそうであったため、安井さんから岩手県江刺市の千葉家を紹介していただきました。時期は、年間で最も寒い立春の直前が一番よいとの助言を元に、2003年2月訪問しました。車酔いする父を乗せて3人で1時間半、千葉家の玄関を入った途端、柔らかいほかーっとした温もりに包まれた感動を忘れることはできません。持参した温度計では室温21℃、ひいおばあさんが裸足で茶の間をすたすたと歩く姿に驚いてしまいました。帰りの車中、3人は古民家再生の道しかないと思っていました。
何故安井さんに設計監理を頼んだのか
・価値観が近い 実は、安井さんと私たちは年齢がほほ同じで、体験や経験の話となると理解が速い、思考のポイントが判るなど、同じような価値観を持って相談できたことにあります。
・女性の視点で捉える 「住む」・「生活」の視点では、誰が何と言おうと女性の意見が最も重要です。妻は、共通話題が豊富な安井さんと気兼ねなく打ち59 元気を持ってきた百歳の家合わせができ感謝しています。リフォ−ム現場でも様々なヒントや指摘を実現していただき、女性の視点の大切さを再認識したことは、率直な感想です。
・豊富な実績 「百聞は一見に如かず」の格言のとおり、私たちは安井さんが実際に手懸けたリフォームを見て回りました。前述の江刺市の千葉家、加美町の農家宿泊施設「おりざの森」、鳴子町の遊佐恭一邸などです。
2004年5月のゴールデンウィークを100年間の生活であらゆる空間に貯まっていた「モノ」の片付けに当て、5月10日から改修工事がスタートしました。今振り返ると、すんなり工事が
12月18日に引き渡し式が行われ、大安日を選んで24日の敷地内の仮設住居にした「離れ」から正式に
・パネルヒーター 何といっても、暖房に採用した灯油の低温水パネルヒーターの威力です。百年前は
・高効率給湯器エコキュート 次に、風呂と給湯のため設置したエコキュートの利用です。改修前の外風呂は、燃料に薪を使っていましたから、冬場の湯沸しは入浴まで3時間以上かかっていました。それが、ボタン一つでいつでも42℃のお湯が風呂に張られ、台所や洗面所でもお湯を自由に使うことができるようになりました。これは、深夜電力による運転が主力なので経済的です。
・電磁調理器 火を使わない台所として、一人暮らしの父にも安全と考えて設置しました。私たちが想像していたより、実際に使ってみると発熱力が強く、温度調節が自由自在でとても使い勝手がよく、満足しています。
・天 窓 我が家で最も暗かった部屋がオカミでした。議論の末に設置した天窓は、オカミを明るくしました。日中は青空や雲の動き、雨脚が見え、夜は星が見えます。夜間にオカミで灯りを点けると、北隣の家の人たちは わが家の屋根が光って見えてびっくりしたそうです。
・箪笥の修理 昭和35年の改修で納戸にまとめられた箪笥が7
・水洗便所と浄化槽 家族にとって念願の一つであった水洗便所は3ヵ所に設置しました。父が使いやすいようにバリアーフリー化したのも、良かったです。父が一番喜んでいます。浄化槽は蒸発散式の合併浄化槽で全ての排水は敷地内で処理できています。
設計監理をお願いした安井妙子さんはもとより、時々訪れて助言して頂いた宮澤智士先生、そして工事を請け負って頂いた活「部和工務店の渡邊菊男店長、現場代理人の結城和郎課長、現場担当者の佐々木日奈子さん、石巻建商鰍フ高橋惣一棟梁と大工の方々には、約7ヶ月の間、宮城県の辺境の地「八瀬」へ通い続けていただき、本当にお世話になりました。重ねてお礼を申し上げます。
着工前の儀式を終えて。棟梁と小野寺さん父子
古民家の修復は、気力体力であると感じています。小野寺さんご夫妻はわたくしと同じ歳です。家中の100年分の家財道具を運び、お二人で分類、処分しました。「二人でよくやりました」と英一さんの父尚一さんがわたくしに話してくれました。そして、これから骨組みだけになるほど解体される大きな自宅を、隅々まで美しく拭き清めて施工者にゆだねたのです。その家に入ったとき、空気が清々していたのをおぼえています。
〈設計者 安井妙子記〉